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執筆者の写真MAL

自分と対話する時間

このところ文章が書けない、というか言葉が出てこなくなったのでブログもしばらくお休みしていました。


僕が文章での表現を意識し始めたのは心理学を学び始めた2007年の頃、それまではもちろん写真で表現していました。

元々は言語での表現やコミュニケーションが苦手だったため、それに代わるものを探し求め写真という手法に辿りつき、それがそのまま仕事も含めての僕の人生そのものになりました。

しかも興味深いことに、言語での表現と他者とのコミュニケーションが苦手ということをそのまま写真での表現に置き換えた僕の専門は、被写体と1対1で向き合って撮るポートレート。

自分と対話をし追求していくと、本当に面白いところに辿りつくものだと、今でもしみじみ感じています。

「言葉で表現できないから写真を撮っている」

それを貫いてきた僕でしたが、心理学を学び始めた頃に言葉が持つ奥深さや日常会話での言葉の選択の面白さ、また言葉ひとつで人の行動や習慣を変える事ができるという事実を知ることで、僕は急速に言葉での表現にはまっていくことになります。

僕の人生において40代の殆どはまさしく自分と向き合いとことん対話した時代。

自分の内面を言語化し、書くことにより明確に視覚化、それを客観的に見る。

さらにSNSに投稿することにより(僕にとってのSNSは多くの人の目に触れる公共の場)、もっと俯瞰で自分を眺めることができ、次はより意識的で明確な内面を表出・表現を行おうとする事で、自分とも深く向き合うことができたのだと、僕はそう感じています。

僕の場合、言語での表現が活発になったり、言葉で表現しなければならない状況に陥るとシャッターが切れなくなります。

逆に作品の整理も含め写真での表現が活発になってくると言葉が出てこなくなります。

思考と情緒の違い、そしてエネルギーをひとつの表現に集中させる習慣により、今現在の僕は思考を優先する言語ではなく、情緒を優先する写真や、ものづくりの為のイメージにエネルギーを集中させているため、ロジックを必要とする言葉が出てこない、文章が書けていないのだと、その様な状態にあるのかもしれません。

ここしばらくコロナ渦にあっても自分で出来ること、自分がやる事は盛り沢山ですが、今朝は久々に自分と向き合う時間を楽しむことができました。

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